(71)子ども時代のギャツビーの 犬の耳になった本

グレート・ギャツビー 最後の章です。

リリー先生

「ニックがいろいろ探しますけど、ギャツビーの葬儀に来てくれそうな人は
 なんと、誰もいません。
 そうこうするうちに、ギャツビーのお父さんが 新聞で知って、
 ミネソタの小さな田舎から 息子の葬儀のために 出てきました。
 
 ギャツビーの父は、ギャツビーが少年時代に 読んだぼろぼろになった 子供向けのカウボーイのお話の本を
 持ってきて、ニックに見せました。

 ボロボロになった古い本 a ragged old copy of a book called-- で思い出しましたが、

 読み古した本に こういう言い方があります

 A dog eared copy of book  犬の耳になった本

 本を読むのを 途中でいったん中断するとき、しおりをはさむ代わりに
 こんなふうに、本の端のところを 折るでしょう?
 ほら、犬の 耳みたいにみえるでしょう?          」

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村上春樹版:p.310の終わりの行からp.311の初め
原書:p.173 1〜2行目

(72) 少年ギャツビーの生き方ブック、ホレイショ・アルジャー

リリー先生

「ギャツビーが少年時代に持っていた 本の裏表紙に、
ギャツビーが自分に課した 「日々の鍛練」のスケジュールが書いてありましたね。

少年だったギャツビーは、自分の生まれた貧しいクラスから、
節約し、ハードワークすることによって、抜け出そうと考えていました。

少年だったギャツビーが、影響を受けたに違いない 読み物がありました。
1867-1899年ころに活躍した 作家 ホレイショ・アルジャー です。

ホレイショ・アルジャーは、120篇以上の 子供向けの お話を書きました。
120篇全部同じ話です。つまり、こんな具合です。
貧乏な家に生まれた子供や 貧しい移民の子供 Ragged Dick が
”節約”と ”ハードワーク”と ”日曜日に教会へ通うこと” を通して
 ” 金持ちになった” という話です。ぜんぶ!
ホレイショの書いた話は、全部、
      ”アメリカンドリームのかなえ方”
      “成功をつかむためにすべき事”  でした。

イラスト付きの彼の本は、たくさんの子供たちに読まれました。
少年だった ギャツビーも 絶対に読んだはずです。
そして、ギャツビーは、自分もその本の中の子供と同じように
アメリカンドリームをかなえることを夢見ていたのでしょう。   」

                                                                                                      • -

村上春樹版: p.311,p.312
原書: p.173

(70)ニックがギャツビーにそう言ってくれておいたのがせめてもの救いです。

グレート・ギャツビー」には、ところどころ、たびたび、
ほんとうに美しい描写があって、何回も繰り返して暗記するまで口の中で転がしておきたい
箇所があります。それがどこの部分かと聞かれると あっちこっちにあって、しかもどれも
どっちが美しいという順番が付けられないので、たとえばどれと言い始められないのですが、
この、撃たれたギャツビーがマットに載ったままプールの水面をゆっくりと回りながら浮かんでいるシーンも、
美しいですよね。
夏の終わりの温度、日差し、色、風、プールの水のにおい、静けさ まるで見ているような気になります。
ついでに、近いところで、
ニックがギャツビーに最後に挨拶してギャツビーの家から 職場へ出かけて行くところ の描写、
いいですよね。
ニックはギャツビーと別れて家を出て行くのだけれど、
振り返って、ギャツビーにこう言う。

村上春樹版:p.277最後のあたりから~p.278
原書:p.154 中ほど
「誰も彼も、かすみたいなやつらだ、みんな合わせても。君一人の値打もないね」

ニックは、あとから振り返って、この言葉を言っておいて良かったと、思うのだけど、
ほんとう、読んでいる読者の私も、あー、ニックがギャツビーにそう言っておいてくれて
本当に良かった、と、ギャツビーがあんまりにもかわいそうなので、せめてニックが
そう言ってくれていたので救われる気がします。

このニックの言葉くらいから〜 「朝食をありがとう」あたりまでの描写の
村上春樹さんの翻訳、すごく丁寧に訳されているのが伝わってくる気がします。
フィッツジェラルドの想いを伝えてあげたい、と思ってすごく力が入っている気がします。

(68) 消費中心主義とエックルバーグ博士の目と神

リリー先生

「エックルバーグ博士の目 が、また出てきましたね。

 ウィルソンが、エックルバーグ博士の目を 神の目だと 言います。
 ミカエリスが ただの ””広告”” だと 言いますね。

 第一次世界大戦後、1920年ころに こんなことがよく言われるようになりました。

 人は 神への信仰 を止めてしまった。
 People stopped the belief of God.
 そして、
 消費中心主義が 神への信仰にとってかわった。
Consumerism has taken over it.

広告を 神だという、 このウィルソンとミカエリスの エックルバーグ博士の目 についての会話は、
 まさに、そのことを表していますね。

                                                                                                                  • -

ウィルソンの背後に立ち、彼の見ているのがT・J・エックルバーグ博士の目であることを知って、
ミカエリスは度肝を抜かれた−−−−「神様はすべてをごらんになっている」とウィルソンは繰り返した。
「あれはただの広告板だよ」とミカエリスはウィルソンに言い聞かせた。
"God sees everything," repeated Wilson.
"That's an advertisement," Michaelis assured him.

原書: p.159 終わりの行から p.160 初めあたり
村上春樹版: p.288初めのあたり

(69) 男の人を振っちゃう 手紙を こう言います

リリー先生

「デイジーは 戦争に行った ギャツビーを待ち切れず、
 大金持ちで 元フットボール・スター選手の トムの 出現に
 ふらふら となって、トムと結婚してしまいます。
 結婚が決まったことを、オックスフォードにいるギャツビーに手紙で知らせますね。

 こういう手紙を、

 ” A Dear John Letter " というんですよ。

 あなたは とても いい方です、 でも・・・・
 I really like you but ---

 と、相手を 振ってしまう 手紙のことです。

                                                                                            • -

村上春樹版:p.273 後ろから5行目 
原書: p.151 最後の2行

(67)フィッツジェラルドの初恋の大金持ちのお嬢さんの事

…前回から続く…

フィッツジェラルドは後年 自分の娘に、こう言ったことがあったと言います。
「Ginevra が わたしの初恋だった」
She was the first girl I ever loved- - -

いっぽう、Ginevra の娘が こう言っています。
「母 Ginevra は、フィッツジェラルドを愛してはいませんでした。
 彼女はフィッツジェラルドを楽しんでいました、とても愉快な人だったと言ってました。
 フィッツジェラルドは外側の人でこちら側を見ていたのだと言ってました。」
Ginevra was never in love with Fitzgerald, she enjoyed him and he was very bright,
very witty, she said he was always on the outsaide, looking in.

なんか、フィッツジェラルドが可哀そうになるような結末です。
とても、ギャツビーとダブります。

ゼルダと出会った時も、フィッツジェラルドは 経済的なことを理由に
ゼルダの家族に反対されて、一度別れています。
作家として成功して、ようやく ゼルダと結婚できました。
しかし、結婚後も ゼルダのために贅沢な暮しを続けるため
ずいぶん 苦労しました。

フィッツジェラルドは 恋愛において お金に苦労し続けました。

彼の人生において、いつも 「お金」 が、 
 
愛する女性と フィッツジェラルドとの 間に 挟まっています。

愛する女性と自分の間の 溝を しじゅうお金で埋めなければならなかったということでしょうか。

グレート・ギャツビー そのまんまですね。

なんで、そんなにお金持ちの女性に弱かったんでしょう。

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The New York Times / September 8, 2003
"Love notes drenched in moonlight; Hints of future novels in letters to Fitzgerald"

(66)フィッツジェラルドの初恋の大金持ちのお嬢さんの事

・・・前回から続く・・・

フィッツジェラルド と Ginevra は、ギャツビーと デイジーのように 冬に出会いました。
恋の季節ではないですね。)
ふたりは 恋に落ちて、 2年間 文通をするなどして 交際しました。

フィッツジェラルドは、裕福な階層の出身でしたが、父親が事業に失敗したため、
経済的には、 Ginevra の 裕福さ と 釣り合いのとれる身分ではなかったようです。

おそらく、 フィッツジェラルドは、Ginevra の父親から
「貧乏な男が金持ちの娘との結婚を考えるもんじゃない」
Poor boys shouldn't think of marrying rich girls.
と言われたことがあるようです。
その後、
2人の交際はだんだんと 離れていき、1917年、交際が終わりました。

Ginevra は、 その後 シカゴの若い大金持ちの男性と 婚約し、結婚しました。
Ginevra の結婚式は、現地の 新聞などに ”これほど美しい花嫁は見たことが無い”と
タイトルされて 報じられました。

まるで、トムとデイジーのようですね。

それらの 報道や写真を フィッツジェラルドは 切り抜いて スクラップしていました。

ギャツビーも、デイジーの記事を切り抜いて保管してましたね。

        • つづく------